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宗教
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イスラムとキリストと仏教
- 2006-09-19 (火)
- World
ローマ法王がイスラムのジハードを批判したことでイスラム諸国からかなり反発されているようです、それについてローマ法王が発言を訂正したりする事態に陥っていますが、これは落ち着くところ、落としどころはあるんでしょうか?答えは無い。
以前も「ムハンマドの風刺画〜日本〜」で書きましたが、ヨーロッパ、キリスト教とイスラム教、中東ではもう対立の構図が紀元前からあるのでどうしようもない気がします。ただ、アメリカやヨーロッパは有る程度先進国なのですから相手の言い分を聞く耳をもう少し持つべきではないのか?デンマークがムハンマドを風刺画にしたりして少し小馬鹿にするようなことをしたら怒るに決まっている。なぜそれをするのだろう。なぜキリスト教はイスラム教を認めることが出来ないのか?認めてはいるのかもしれないけれど私の目にはそのように映っている。確かに自爆テロを推奨している原理主義は良くないかもしれない。それを聖戦にしてしまっている事も確かに賛同は出来ない思想だ。それをローマ法王が批判をしてしまうと言うことは火に油を注ぐような物だ。もう少し発言内容考えても良かったのではないだろうか、確かに今世界はテロとの戦いを行っている最中なのだが、それはアメリカ先導による物だ。それを支持している西欧諸国も日本も同じような物だが、アメリカは何故自国が狙われているのかを解っているのだろうか?
イギリスも悪い。イスラエル問題もイギリスのおかげでこじれにこじれ両方に所有を認めた上に手を引いたりしているから未だにグダグダと争いが続いてしまっているのだ、イスラエルがあるからユダヤの国があるのだけれども、別の国があった場所に突然建国されても元から居た人からしたら侵略に近い、でも、元々紀元前には確かにその場所にイスラエルという国はあったからそこに帰ってきただけだとは言う物の、その問題に中途半端に関わったイギリスは後始末をしなかったし中途半端に関わったから今もまだこんな状態だ。これは中東情勢の話だが、宗教の話も同じだ。
イスラム諸国と西欧諸国、両方共だが相手の立場になって物事を考えようという気はないのであろうか?お互いに持論の展開に終始徹しているようにしか見えない。子供の頃相手の嫌がることをしてはいけませんとか教えられなかったのであろうか?相手の気持ちをくみ取り、思いやりを持って接しましょうと。確かにこんな事は個人レベルの話で一対一にしかもしかすると通用しないのかもしれない、でも国家、宗教単位でも相手を思いやる気持ちをもう少し持って貰えない物だろうか。こんな単純にこの問題が解決できるのならこんな何世紀もの間続いては居ない争いなのだから無理なのだろうけど・・・。そんなもん正論だ、戯言だ、理想論だ!と言えば確かにその通りで理想論だ。不可能に近い。
イスラムとキリストとユダヤ、この宗教同士の争いにいつの日か終わりは来るのか?仏教国の日本からだと非常に第三者としてこの問題を見つめることが出来る。その立場で宗教間に国ではなく宗教のひとつ仏教として関わり合っていくことは出来ないのであろうか?イスラム教、ユダヤ教、仏教、儒教、現在このバランスがかなり壊れているからこそ介入しろとは言わないが仲介とかができない物かと思えてしまう。下手に関われば巻き込まれるのは確かではあるのだけれども、どっちにもつかず中立な観点からこの状況を見られるのは第三者的な立場で要られる仏教圏の国ではないだろうか。ただ、こんな事も可能なら既にやっているような物だろう。やっぱり理想論、戯言でしかない。でもこの様なことを考えてみるのも良いのかもしれない。日本はどうしても関わり合いのない問題ではあるのだけれども、だからこそ中立的に客観的に見ることが出来る。前も書いたけどアジアに目を向けても同じ。日中韓での争いごとももう少し三者三様に相手の言い分をくみ取り思いやりを持ち合えばなんとかなっていくような気にもならないかしら?ただ、前もこれは書いたことだけど、当事者になるとそんな風には中々考えられないし、考えてみてもそのようにしようとは思えない。矛盾している部分ですね。当事者か第三者かではえらく違いますから。
結局当事者同士って言うのはこの日本中国韓国でも同じように相容れない部分って言うのが歴史的、精神的、思想的に根強い。それは痛いほど解るはずだ。ただ、この極東アジア情勢よりももっと深くイスラムとキリストの間には深い深い軋轢、高い分厚い壁が有りすぎている。確かに第三者から見ると何とかならないか?とは思えるし、思ってしまう物だが、当事者同士になるとやられたらやり返せ!元を正せばそっちが悪い!そっちが先だ!おまえがおまえが!となってしまう。これにはいつか終わりはあるのだろうか?これが人の歴史と言えば確かにそうなのだけれども・・・・
もしかするとこの問題は久し振りに大々的にガス抜きをしないと終わらないのか?中東戦争、キリスト教対イスラム教の戦争、一度大々的に爆発させたらきっとしばらく長い間は悲惨すぎて両方とも和平をし、落ち着くのだろう。そんなこと恐ろしくて考えたくもないが、爆発していないから両方とも「もんもん」とガスがたまっているように見えてしまう。
宗教、神というのは人を救い、世界を平和にすると言うような思想がほとんどだと思うのだけれども、実際そうなのだろうか?個人的に人はもしかしたら救われるのかもしれないが、その反面長い歴史の上で宗教の争いでどれだけの人が死んでいっているのだろう。これで救われているのか?平和なのか?宗教を批判するわけではない、確かにこの世界の文化は基礎に宗教が大きく関わっているし、宗教無くしては現在のように発展もしなかったであろう。だからこそ思う、宗教とは人を救う物であって殺し合い、つぶし合い、憎み合わせる物ではないと思うのだが。私は完全に無宗教者だし、信仰している神など存在していないので、思うことではあるのかもしれないが・・・・
いつかこの争いが終わる日は来るのだろうか、お互いの価値観を押しつけず共存出来る日が来ると良いなと・・・・
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消えた上九一色村
- 2006-03-01 (水)
- News
あの、オウム真理教のサリン事件で一躍全国区に名前が知れ渡った上九一色村の名前が消えることになりましたね。市町村合併による物ですが、今回は珍しく南部北部別々の町との合併になると言うことです。あの事件から結構年数がたちますが、この上九一色村という名前が消えてそのまま事件も風化してしまわないようにしていただきたい。あの事件は少なからず私には激しく刻まれています。
参考ニュース:「上九一色村」分村合併で消滅 村民、オウム追放に思い(産経)
上九一色村市町村合併について
このブログ内での関連記事:色々な10年/1995年の衝撃
オウム関連の文献を探す:Amazon
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ムハンマドの風刺画〜日本〜
- 2006-02-10 (金)
- Study / Culture
最近問題になっているムハンマドの風刺画。コリャ大変だなぁと第三者的に見ているのだけれども。はっきり言って欧米諸国が悪いだろう。宗教の問題だからね。デンマークを始め各国が言論の自由を唱える。イスラム諸国は宗教上の神を冒涜されたと怒る。じゃぁ西欧諸国はキリストを冒涜されたら怒らないのか?自由なら何をしても良いのかと思えてしまう。イスラム教側も暴力に訴えるのは良くないが、西欧諸国も各国さらにムハンマドの風刺画をさらに掲載したりしてあえて火に油を注いでいる。
この問題は絶対にかみ合わないのは確実だ。イスラム教徒にとってイスラムとは生活の一部だ。人の物を盗んではいけないって言うような行動だって日本人のような大半が無宗教論者の場合は、盗むが悪い事って言うのは悪いこととして理解しているし法律によって決められている。イスラムの場合はコーランに記されているという。要するに全ての価値観がイスラム教なのだそうだ。とテレビで言っていたのを見てなる程って思ったのだが。要するにイスラムの人にとっての生活、人生の行動の全てがイスラムの教えに基づいていると言うことであるらしい。その自分の信じている神である、ムハンマド。イスラムのムハンマドは偶像崇拝は禁止されているのだ。キリスト教のようにキリスト像やマリアの像の様な偶像を崇拝してはいけない。像や絵画としても物体化や掲載などされてはいけない物。それを絵にした時点でイスラムの怒りをかった上にムハンマドにターバンを巻き、そのターバンが爆弾になっているという。そりゃ怒る。相手(イスラム教徒)の気持ちを全く考えないで自分たちの主張(言論の自由)を主張している。かみ合うはずがない。一方は神の作った教え、もう一方は人が作った法、かみ合うわけがない。話し合って解決できる問題か?考え方が違いすぎる。宗教という物は大きなイスラム教やキリスト教、仏教、儒教に限らず小さな宗教でさえ人の考え方を根本から変える物だし。だから戦争が絶えないわけだ。そんなこと西欧諸国なら百も承知なのにあえて火に油を注いでいる。まったくばかげている。要するにヨーロッパの人たちの大半がイスラム教徒=テロリストなんて思ってしまっているのではないだろうか。ありゃ一部の人たちだけだ。
さてと、この問題。日本人は恐らくなじみにない問題である。俺も含めてはっきり言って良くわからない。日本には西欧諸国に比べイスラム教徒は少ないしはっきり言って対岸の火事なのである。しかし本当にそうだろうか?たとえば日本の新聞社や他の媒体で同じようにムハンマドの風刺画を掲載したら恐らく同じようなデモが起こるであろう。以前もコーランを破られたって言うことでデモがあったみたいだし。それに、この問題、日中関係にも似ている気がする。中国人の気持ちを考えないで日本人は戦争を美化する人もいれば靖国参拝を本人の自由という。
うーん俺自身が矛盾している気がする。靖国参拝に関しては本人の自由だと思う。ただ中国人は嫌がる。同じようにイスラムのこのムハンマド問題に関しては西欧諸国側に問題がある気がする。一色単に捉えるような問題ではないのだが相手の気持ちを考えるか考えないで自国の主張のみを通すのか、その点では似ている気がする。ほんとこの問題を耳にして考えてみると自分の考えが矛盾していたことに気がつく。そう考えたら靖国問題もどうなんだろうと思えてしまった。だからといって他国にやめろと言われてやめるのもね〜と思ってしまう自分が居る。うーん。矛盾だらけである。考えが一貫していないのだろうか。日本では無関係と思っている問題も中立的第三者として見てみると他の物が見えてくることがあるから不思議な物ですな。
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色々な10年/1995年の衝撃
- 2005-01-19 (水)
- News
先日被災から丸10年たった阪神大震災だが。あのテレビからの映像は衝撃的だった。確か当時私はその二日前の1月15日が日曜で私自身成人式だったのだ、翌日は振り替え休日で仕事が休みで翌日火曜の朝6時過ぎ起床し出勤の準備をしていると目覚ましテレビから地震のニュース映像が飛び込んできた。それはビルの窓ガラスが割れている後から思うとまだまだ序の口な映像だったのだがなんとなく「え?」結構おっきかったんだぁ。程度に思ってそのまま出勤。仕事中にお客さんから号外を見せられて見た写真が高速がなぎ倒されてる写真だった。あの映像は目に焼き付いている。あれから10年たって阪神神戸は凄い復興した。その2年後に実際にその辺りを車で通過したのだがその時点でも幹線部分はほぼ復興していた。すごいなぁって思った記憶があるがこの10年間が実際にはみんなの努力が凄かったんだろうなってほんと感動する。
そういえばこの年にもう一つ大きな事件があった。オウム真理教による地下鉄サリン事件。この事件からももうすぐ10年がたとうとしている。あれは95年の3月20日である。
以下は以前私のHPに載せてあった日記の抜粋。
3月20日
この日社会的に大事件が起こったのである。そしてこの事件で日本全国に衝撃が走った!そう俺はいつものように私鉄京王帝都電鉄(当時の名称)で新宿まで出てそれから営団地下鉄丸の内線に乗ったのである。丁度霞が関あたりだったでしょうか社内アナウンスで「霞ヶ関駅で爆弾が発見」ってなアナウンスがあったのですが俺が乗っていた電車はそのまま霞ヶ関に停車しドアも開いたのである。・・・爆弾じゃないのはすぐにわかる・・・・異様な光景・・・・後にそれが「サリン、毒ガス」とはんめい・・・。
俺はそのときは全く問題なく無事で通常通りに出勤し業務をこなしていた、
仕事で築地まで自転車で行ったのだが・・・そこは今朝の駅で見た光景よりもさらに恐ろしい物であった。何十台もの救急車、消防車、パトカー、そして道ばたに倒れるサラリーマン、OL学生、緑の制服を着た営団地下鉄職員・・・・・。築地は完全に隔離された状態であった。俺の当時の勤務先が銀座だったのだが銀座周辺もサイレンの嵐。普段とは全く違う、事件の大きさが徐々に伝わってきた。しかしまだ体は(自分では)大丈夫だと思っていたのでそのまま夜7時頃まで仕事をしていたのだが・・・・・突然鼻血が出てきた・・・・・俺は「?」っと思い普通に止血をしようとがんばった・・が!その後2時間半出血が止まらない徐々に血の気が引いて行く、顔面蒼白、指先や足から体温低下、けいれん、さすがに自分でも「きゃーびっくり!」だが周りの同僚は「うぎゃー!どうしたんじゃ〜〜!!」と
さらにびっくり!ってなわけで俺は同僚に救急車を呼ばれて都内にあるとある病院に運ばれて行く。特に入院とかひどいものではない、ただ微量だが吸ったらしく粘膜が弱り出血したらしい治療は鼻の穴にどう考えても長すぎない?ってくらいな長さの綿をぐいぐい!とつっこまれてもう鼻骨の奥まで入れられたのである。しかし鼻に詰めて電車に乗るのは恥ずかしいがしゃーないのである。実はこの日うちでもある出来事が予定されていた、姉の彼氏がうちの両親に結婚の挨拶にくる予定だったのだが俺が救急車で運ばれたのを聞いて時間を延ばして待っていたらしいまあ結果的にはきちんと挨拶をすることはできたのでよかったんだけどね。(^^)しかしこの事件許し難い・・・・宗教団体がここまでやるのか・・・・・怒りは頂点である。
この事件は忘れては成らない。風化させては行けない事だと強く考える。
事件から丸4年たとうとしているがようやくって感じである。
亡くなった方や未だに後遺症に悩まされ通院されてるかたを思うと気の毒だが俺は症状も全然軽いものであったのが不幸中の幸いというか悪運が強かった。しかしこれは俺の中で一生忘れることはできない、忘れたつもりは出来るようにはなったがいつもどこか頭の片隅にあるのだろう・・・・・。
(この記事は事件から四年たった頃1999年に書いた物)
この事件からかな。私が新興宗教にたいして考え方が全く変わったのは。それに対しての色々な想いはここで書くことではないのであんまり書かないけどね。信仰は自由だ。でも自分が入っている宗教は実際はどうなんだろう?と見つめ直すことも必要なのではないだろうか。実際色々調べるといろんな第三者から見ると「なんだこれ?」って思える物も少なくない。
ちなみに私は全くの無宗教です。これまでもこれからも入ることはないでしょう。
そんなわけでこの10年はいろいろ考える10年だった気がします。
関連リンク
阪神大震災:
http://www.universal-kobe.co.jp/
http://www6.wind.ne.jp/mrfujii/photo/photindex.htm
地下鉄サリン事件:
http://www.asahi-net.or.jp/~ye8n-nsmr/sarin
http://www.web-arita.com/
http://www.egawashoko.com/
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