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イスラムとキリストと仏教

 ローマ法王がイスラムのジハードを批判したことでイスラム諸国からかなり反発されているようです、それについてローマ法王が発言を訂正したりする事態に陥っていますが、これは落ち着くところ、落としどころはあるんでしょうか?答えは無い。

 以前も「ムハンマドの風刺画〜日本〜」で書きましたが、ヨーロッパ、キリスト教とイスラム教、中東ではもう対立の構図が紀元前からあるのでどうしようもない気がします。ただ、アメリカやヨーロッパは有る程度先進国なのですから相手の言い分を聞く耳をもう少し持つべきではないのか?デンマークがムハンマドを風刺画にしたりして少し小馬鹿にするようなことをしたら怒るに決まっている。なぜそれをするのだろう。なぜキリスト教はイスラム教を認めることが出来ないのか?認めてはいるのかもしれないけれど私の目にはそのように映っている。確かに自爆テロを推奨している原理主義は良くないかもしれない。それを聖戦にしてしまっている事も確かに賛同は出来ない思想だ。それをローマ法王が批判をしてしまうと言うことは火に油を注ぐような物だ。もう少し発言内容考えても良かったのではないだろうか、確かに今世界はテロとの戦いを行っている最中なのだが、それはアメリカ先導による物だ。それを支持している西欧諸国も日本も同じような物だが、アメリカは何故自国が狙われているのかを解っているのだろうか?

 イギリスも悪い。イスラエル問題もイギリスのおかげでこじれにこじれ両方に所有を認めた上に手を引いたりしているから未だにグダグダと争いが続いてしまっているのだ、イスラエルがあるからユダヤの国があるのだけれども、別の国があった場所に突然建国されても元から居た人からしたら侵略に近い、でも、元々紀元前には確かにその場所にイスラエルという国はあったからそこに帰ってきただけだとは言う物の、その問題に中途半端に関わったイギリスは後始末をしなかったし中途半端に関わったから今もまだこんな状態だ。これは中東情勢の話だが、宗教の話も同じだ。

 イスラム諸国と西欧諸国、両方共だが相手の立場になって物事を考えようという気はないのであろうか?お互いに持論の展開に終始徹しているようにしか見えない。子供の頃相手の嫌がることをしてはいけませんとか教えられなかったのであろうか?相手の気持ちをくみ取り、思いやりを持って接しましょうと。確かにこんな事は個人レベルの話で一対一にしかもしかすると通用しないのかもしれない、でも国家、宗教単位でも相手を思いやる気持ちをもう少し持って貰えない物だろうか。こんな単純にこの問題が解決できるのならこんな何世紀もの間続いては居ない争いなのだから無理なのだろうけど・・・。そんなもん正論だ、戯言だ、理想論だ!と言えば確かにその通りで理想論だ。不可能に近い。

 イスラムとキリストとユダヤ、この宗教同士の争いにいつの日か終わりは来るのか?仏教国の日本からだと非常に第三者としてこの問題を見つめることが出来る。その立場で宗教間に国ではなく宗教のひとつ仏教として関わり合っていくことは出来ないのであろうか?イスラム教、ユダヤ教、仏教、儒教、現在このバランスがかなり壊れているからこそ介入しろとは言わないが仲介とかができない物かと思えてしまう。下手に関われば巻き込まれるのは確かではあるのだけれども、どっちにもつかず中立な観点からこの状況を見られるのは第三者的な立場で要られる仏教圏の国ではないだろうか。ただ、こんな事も可能なら既にやっているような物だろう。やっぱり理想論、戯言でしかない。でもこの様なことを考えてみるのも良いのかもしれない。日本はどうしても関わり合いのない問題ではあるのだけれども、だからこそ中立的に客観的に見ることが出来る。前も書いたけどアジアに目を向けても同じ。日中韓での争いごとももう少し三者三様に相手の言い分をくみ取り思いやりを持ち合えばなんとかなっていくような気にもならないかしら?ただ、前もこれは書いたことだけど、当事者になるとそんな風には中々考えられないし、考えてみてもそのようにしようとは思えない。矛盾している部分ですね。当事者か第三者かではえらく違いますから。

 結局当事者同士って言うのはこの日本中国韓国でも同じように相容れない部分って言うのが歴史的、精神的、思想的に根強い。それは痛いほど解るはずだ。ただ、この極東アジア情勢よりももっと深くイスラムとキリストの間には深い深い軋轢、高い分厚い壁が有りすぎている。確かに第三者から見ると何とかならないか?とは思えるし、思ってしまう物だが、当事者同士になるとやられたらやり返せ!元を正せばそっちが悪い!そっちが先だ!おまえがおまえが!となってしまう。これにはいつか終わりはあるのだろうか?これが人の歴史と言えば確かにそうなのだけれども・・・・

 もしかするとこの問題は久し振りに大々的にガス抜きをしないと終わらないのか?中東戦争、キリスト教対イスラム教の戦争、一度大々的に爆発させたらきっとしばらく長い間は悲惨すぎて両方とも和平をし、落ち着くのだろう。そんなこと恐ろしくて考えたくもないが、爆発していないから両方とも「もんもん」とガスがたまっているように見えてしまう。

 宗教、神というのは人を救い、世界を平和にすると言うような思想がほとんどだと思うのだけれども、実際そうなのだろうか?個人的に人はもしかしたら救われるのかもしれないが、その反面長い歴史の上で宗教の争いでどれだけの人が死んでいっているのだろう。これで救われているのか?平和なのか?宗教を批判するわけではない、確かにこの世界の文化は基礎に宗教が大きく関わっているし、宗教無くしては現在のように発展もしなかったであろう。だからこそ思う、宗教とは人を救う物であって殺し合い、つぶし合い、憎み合わせる物ではないと思うのだが。私は完全に無宗教者だし、信仰している神など存在していないので、思うことではあるのかもしれないが・・・・

 いつかこの争いが終わる日は来るのだろうか、お互いの価値観を押しつけず共存出来る日が来ると良いなと・・・・

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Comments:2

名無しさん 07-02-26 (月) 7:00

仏教と、キリスト教ユダヤ教イスラム教を比較した場合、一番の違いは絶対神・唯一神の存在でしょう。仏教の仏様や菩薩や観音など何人もいるのに対して、創造神は一人ですからねー。まずそれが争いの第一原因になる。(自分の神様以外は全て異教徒扱い、良くて預言者の一人とか)
そして仏教では個人の悟りとか平安とか現世利益とかが目的とされるのに対し、キリスト教やイスラム教は「神の定めた道・神が示す理想の生き方」をするためのものだそうです。つまり、個人の幸せは必ずしも第一目的ではなく、大いなる目的・理想に沿った生き方を追求するための宗教。といえば聞こえはいいですが、その大目的が異教徒を排逐して「神の国の建設」にあったりすると、そのための聖戦も侵略も全て正義になってしまいます。テロしかり、十字軍しかり。イスラエルの建国もそうですね。
ところで、アラブ諸国のど真ん中にイスラエルがあるのが問題なんだから、アフリカ大陸かどこかの人のほとんどいない土地(砂漠とか)を安く買って、引っ越せばいいのに、と思うのは私だけでしょうか?核兵器持ってるくらいなんだから(イスラエル)緑化の金も技術もあるだろうし、引越しの交換条件としてアラブ諸国に金を援助してもらえばいいのでは。


qozy/unchin 07-02-26 (月) 22:04

名無しさん> 

 砂漠の真ん中でも侵略されたと言われそうですよね。ここまでこじれてしまうと今更どうしたら解決され中東地域が平和になるのか、全然解りませんよね。神に祈ったところで解決にはならなさそうですし・・・。


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